二つの『ラ・シルフィード』
〜タリオーニ/ラコット版とブルノンヴィル版〜
海野 敏

二つの「ラ・シルフィード」〜タリオーニ/ラコット版とブルノンヴィル版
(財)日本舞台芸術振興会主催 東京バレエ団『ラ・シルフィード』公演プログラム 1999年7月, p.24-25.
出演:斎藤友佳理、吉岡美佳、高岸直樹、首藤康之ほか
 現在世界で上演されている『ラ・シルフィード』には、原版が二つある。タリオーニ/ラコット版とブルノンヴィル版である。
 タリオーニ/ラコット版は、フィリッポ・タリオーニの振付を、140年後にピエール・ラコットが復元したもの。タリオーニ版の初演は1832年3月12日、パリ・オペラ座にて。ラコット版はまずテレビ用映像が1972年1月1日に放映され、同年6月7日、パリ・オペラ座バレエ団によって初演された。音楽はジャン=マドレーヌ・シュナイツホーファー。
 ブルノンヴィル版は、オーギュスト・ブルノンヴィルの振付で、1836年11月28日、コペンハーゲン王立劇場にて、デンマーク・ロイヤル・バレエ団によって初演された。音楽はヘルマン・レーヴェンスョルド。
 この二つの『ラ・シルフィード』は、音楽が異なるのに物語は瓜二つだし、振付にしても、ロマンティック・バレエの香りが濃厚なところはよく似ている。しかし、じっくり味わってみれば、タリオーニ/ラコット版は舞踊表現に重きがおかれていて、しっとりと優美な雰囲気なのに対し、ブルノンヴィル版は演劇表現がこまやかで、生き生きとして軽快な印象という違いがある。
 以下、ブルノンヴィル版とタリオーニ/ラコット版を、物語、演出、振付のそれぞれについて比べてみよう。

物 語
 どちらも原作は、シャルル・ノディエの小説『トリルビー、またはアーガイルの妖精』である。しかし、両者は原作が同じという以上に筋立てがそっくりだ。
 物語の展開にかかわる主要なエピソードは、順番も含めてすべて同じ。さらに細部でも、第一幕でラ・シルフィードが暖炉から煙突へと消え、窓から入ってくる設定や、第二幕でラ・シルフィードがジェームズに小鳥の巣を差し出すエピソードまで共通である。第二幕冒頭、マッジが煮立った大鍋でショールに魔法をかける情景はシェイクスピアの『マクベス』からの引用だが、これも両者で採用されている。
 この類似はブルノンヴィル版初演の歴史的な事情に由来する。もともとブルノンヴィルは、パリで見たタリオーニ版をデンマークで上演するつもりだった。しかし、パリ・オペラ座から音楽の利用許可を得られなかったため、新たに自国の音楽家レーヴェンスョルドに作曲を依頼し、自前で全幕を制作したのである。台本はブルノンヴィルが書いたのだが、それはアドルフ・ヌリが書いたタリオーニ版台本をまねるものだった。彼がヌリの台本を直接読んだのか、自分の記憶とメモをたよりに模倣したのかはわからない。
 あまり似ていたため、ブルノンヴィルはパリで盗作者として訴えられた。ブルノンヴィルはこのことを自伝で「不愉快な経験」と語っている。彼にしてみればオリジナルの作品を作ったつもりだったからである。事実、演出と振付はずいぶん違っている。

演 出
 タリオーニ/ラコット版は、登場人物の心境と情動を舞踊によって表現することに努めている。ロビンズやマクミランなど二十世紀の振付家たちには及ばないが、ラ・シルフィードとジェームス、エフィーとジェームス、それぞれのパ・ド・ドゥを見れば、二人の感情の交流が、さりげないポーズや動きに織り込まれていることがわかる。
 たとえば、第一幕、群舞がスコティッシュ・ダンスを踊った後のエフィーとジェームスのパ・ド・ドゥは、ブルノンヴィル版にはない。第二幕、ブルノンヴィル版では、ジェームスは右手を高く掲げるマイムでラ・シルフィードへの愛を誓うのだが、タリオーニ/ラコット版では、ジェームズの愛は森の中でのラ・シルフィードとの踊りによって示される。また、瀕死のラ・シルフィードとジェームスの踊りも、ブルノンヴィル版にはない見どころだ。
 なかでも舞踊による表現としてもっともよく仕上がっているのは、第一幕、ラ・シルフィード、エフィー、ジェームスの三人がからみあって踊る「パ・ド・オンブル」(影の踊り)である。エフィーとジェームスのすれ違う心がわかりやすく舞踊化されていて、見ごたえの場面となっている。
 また、凝った舞台装置は初演時からタリオーニ/ラコット版の特徴だった。ラ・シルフィードの退場・再登場(第一幕)や、シルフィードたちの空中浮遊(第二幕)は、いまでも劇場の性能が駆使される。これらの仕掛けはブルノンヴィル版でも採用されているが、ブルノンヴィル版を上演するバレエ団では、それほど装置にこだわらない場合もあるようだ。
 一方ブルノンヴィル版は、舞踊以外の演出を細かくすることで、演劇的な密度を濃くしている。第一幕では、エフィーに言い寄るガーンの手をジェームスが払いのける場面とか、マッジが娘たち一人ずつに手相占いの結果を伝える場面とか、演技がたいへん具体的だ。
 演技には、伝統的なマイムが多用されている。たとえば、右手を掲げて「誓います」、両手を頭上で回して「踊りましょう」、右手の親指と人差し指をこすりあわせて「お金持ち」といったマイムを見ることができる。
 ブルノンヴィル版には、タリオーニ/ラコット版にはない場面も挿入されている。エフィーが友人たちからの結婚祝いの品物を一つずつ確かめる場面(第一幕)や、マッジがガーンとエフィーに結婚をそそのかす場面(第二幕)などである。

振 付
 上半身を前傾させるポーズ、上半身のポジションを保ったままでのすばやい足さばき、とりわけ小さくジャンプして両足を打ち合わせるパ(バッチュ)の頻出、控えめなポワント・ワークなど、いわゆるロマンティック・バレエ時代の技法が、どちらの振付にも色濃く反映している。ロマンティック・バレエ特有の繊細で幻想的な味わいは、これら技術的な特徴によるところも大きい。
 しかし、二つの版では、パ・ド・ドゥの振付がすっかり異なっている。
 タリオーニ/ラコット版では、男性は女性をしばしばサポートする。ジェームスはシルフィードに触れられないという設定ではあるが、ラ・シルフィードが浮遊するように見える小さなリフトをしたり、手を取って一周させたり(プロムナード)する。男性が女性の腰を支えたり、女性が男性の肩に手をそえたりもする。さりげなく支えあって踊ることが、二人の感情交流となっているのだ。エフィーとジェームスのパ・ド・ドゥも同様である。
 ところが、ブルノンヴィル版では男女は原則的に接触しない。自伝によれば、ブルノンヴィルはタリオーニ版を見て、男性ダンサーが女性ダンサーの危険な支柱役にすぎず、軽視されていると感じたようだ。そこで、男性による女性のサポートをあえて廃し、ジェームスにもラ・シルフィードと同じ見栄えのする振付を与えたらしい。演出面でジェームスの役柄を作り込んだのも同様の配慮だろう。
 ただ、ラコット版を見るかぎりは、ジェームスの踊りがラ・シルフィードより見栄えがしないとは思えない。タリオーニ版とラコット版のあいだの140年が、バレエにおける男性ダンサーの位置付けを変えてしまったからかもしれないが。
 ブルノンヴィル版では、パ・ド・ドゥよりむしろソロの踊りが見せ場を作っている。たとえば、第一幕のエフィーとジェームスのソロは、いかにもブルノンヴィルらしい。予備動作(プレパラシオン)がとても小さいのに、テンポが速く、軽やかで小気味よい動きが連続する振付は、ブルノンヴィル・スタイルの真骨頂である。また、ガラ公演やコンクールでよく踊られる「ラ・シルフィードのパ・ド・ドゥ」(第ニ幕)も、グラン・パ・ド・ドゥ形式ではなく、二人がソロを交互に踊る構成になっている。

 歴史的にみれば、ラコット版にはロマンティック・バレエ最初の全幕作品を可能なかぎりの時代考証で再現したという意義があり、ブルノンヴィル版にはロマンティック・バレエ時代の舞踊技法をそのまま継承して上演しているという意義がある。どちらも人類の知的遺産として上演され続けてゆくだろう。

(東洋大学助教授 情報学)[肩書きは掲載当時]

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